【137】 安倍改造内閣 スタート  −安定感のある新内閣−     2007.08.27


 大敗した参院選からの再起を期して、「人心一新」を掲げた 安倍改造内閣がスタートした。新閣僚の顔ぶれを拝見すると、安倍さん、考え抜いた人選というところだろう。


 第1次内閣の松岡農相のような、明らかに問題を起こすのが見えているような閣僚は見あたらないし、注目の3ポスト…、官房長官、防衛大臣、厚生労働大臣の人選には、苦心のあとがうかがわれる。
 私は、官房長官に中川昭一氏といったのだけれど、それでは安倍・麻生・中川の「ツッパリ内閣」と形容されてしまうところだったか(苦笑)。与謝野 馨氏ならば、調整型だし、政策にも強いし、人脈も幅広い苦労人(落選も経験している)…。よくこんな人が残っていたというカンジだ。
 防衛大臣は、初代・2代目がミソをつけているだけに、安定した人物を就任させて、新しく誕生した防衛省を揺るぎない格調ある省庁と位置づけたいところである。その意味で、派閥の領袖で元外相の高村正彦氏は適任であろう。
 厚生労働大臣は、今、誰もやりたくないポスト…(苦笑)。初入閣で、また、安倍内閣に何かとイチャモンをつけていた舛添要一氏は、「お前やってみろ」と言われたら、断れない。彼ならば、海千山千の厚労省のグータラ役人の尻を叩き、また、野党の攻勢にも論理的に対応して、年金問題だけでなく、医療改革、介護事業など、重要で切実な問題を、他の誰よりもしっかりとこなしていきそうである。就任後の記者会見でも多弁で、意欲と見識がうかがわれ、好感が持てた。
 元岩手県知事の増田寛也氏(民間)の総務大臣も、中央からの視点だけの地方分権を、地方の思考を盛り込むことができそうな期待感がある。他省庁との連携は不可欠だけれども、喫緊の課題である「地方の復興」をダイナミックに演出・実現することができるか…。ただ、改革派知事と言われてきた人たちの実績は、地方自治の現場に残っていないことも事実である。中央の体制が変わらなければ、地方は手も足も出ないということだろうか。その意味からも、総務省の方向を転換できるかどうか見守りたい。
 渡辺喜美氏の行革担当留任も、公務員改革に対する意欲が衰えていないことが伝わってくる。渡辺氏の前のめりの歩き方が、官邸へ入ってくるときなんか、つんのめって転ぶんじゃないかというほど前傾していた。


 懸念材料は、伊吹文明文部科学大臣、甘利 明経済産業大臣の留任と、遠藤武彦農林水産大臣。
 まず伊吹文明氏だが、疑念の残る事務所費問題や刑事訴訟を受けている商工ローン『日栄』からの献金を受けていたという体質もさることながら、文部科学大臣として手がけてきた今日までの事績に、疑問符をつけねばならないのである。
 巨大与党勢力を背景として「教育基本法」の改定をはじめ、「学校教育法改正案」「地方教育行政法」「教員免許法改正案」などを可決成立させてきているが、これらの事績は政治マター事項であって、わが国の教育(特に公教育)を活性化させて、学力低下や教育力の衰退を反転していこうとする実行プランが何も示されていないことに、現場を知らない大臣の限界を見るのである。
 歴代の大臣も教育の実情や現場をほとんど知らなかったことも事実である。鳩山邦夫氏が文部大臣に就任したときには、小学校1・2年生の理科・社会科をなくしてしまって、幼稚園のお遊戯の延長である生活科を新設し、子どもたちの自然・人文科学に対する萌芽を摘み取って科学離れを生じさせ、日本の科学的分野に大きな損失を生じさせている。大臣は、現場の一つ一つは知らなくてもいい。だが、現場の知識のないものがその地位に着けば、大元を誤ることも多いことが、この一例を以ってもうかがい知れる。
 伊吹大臣の11ヶ月の事績から、その留任によって、安倍内閣のこれからの文部科学行政が、教育現場を活性化できるとは思われない。司令官は大綱を整え、現場は各指揮官に任せることが望ましいが、司令官が現場を知らなくては、指揮官はてんでんばらばらな方向を向く。目標を達成するための手立てを示し、将来像を語るだけの見識は必要である。
 教育改革を真に最重要課題のひとつと位置づけていくのならば、現場をよく知る文部科学大臣を据えることが重要であろう。伊吹文科相の留任は、教育改革に対する安倍内閣の姿勢にクエスチョンマークをつけねばならない人事である。
 次の不満は、東シナ海の春暁油田の採掘についても対中国のアクトを何ら行わず、シベリア・サハリンの石油天然ガス開発にもロシアに一方的に権益を奪われながら抗議すら起こさず、中国からの有害食品の輸入にも有効な手立てのない通商産業省甘利明大臣の留任…。通産行政についての見識も意識もないし、仕事もしていない。こんな通産行政を続けていたら、日本は躍進する中国にもの造りから金融に至るまで凌駕され、やがては飲み込まれてしまうこととなり、世界経済の中でその存在は忘れ去られてしまう。日本の産業生産を上昇させ、日本経済を躍進させる見通しと手法を備えた大臣に挿げ替えることが必要である。
 そして3つ目は、就任した今になって「農水大臣だけはやりたくなかった」とぼやいている遠藤武彦。覚悟がないのならば、引き受けるべきではないだろう。確かに、次々と決まっていく各省庁の大臣を尻目に、農水大臣の枠は最後まで空白であった。何人かに、断わられていたのだろう。
 日本の農業が置かれている現実は厳しく、だからこそ民主党が所得保障などという禁じ手を用いて1人区大勝利に結びつけた要因が内在しているわけでり、今秋のWTO農業交渉も日本は難しい立場に立たされている。今、農水大臣を引き受けることは、日本の農家を敵に回すことになると言っても過言ではない、損な役回りである。
 しかし、だからといって、その任に就いてから「やりたくなかった」は、冗談半分としても、大臣ともあろうものが繰り返して言うべき言葉ではなかろう。失敗すれば全責任を一身に負い、今度の衆院選で討ち死にする覚悟を見せて、安倍改革の先陣を切ることだ。全農家と漁師を味方につけて農水改革を実現すれば、自民党のみならず、日本の農林水産業の恩人となって「武彦命神社」ぐらいは建つかもしれないのだから。


 新閣僚の認証式を終えて記者会見で抱負を述べる安倍首相の言葉遣いも、以前に比べて一語一語をはっきりと述べるよう心配りをしている様子がうかがわれた。まさに「安倍内閣の命は言葉
であろうと思う。説明責任をはっきりと果たし、自らの政策に国民の理解を得て、民主党との優劣の判断を求めていくこと…。衆参ねじれ現象下における政権運営の成否は、国民の支持にかかっているのであり、支持を得る手段は「ことば」なのである。
 新内閣は、一定の国民の理解を得られるものと思う。参院選前の20%台という惨憺たる内閣支持率も、安定度の感じられる新閣僚の顔ぶれを見て、安倍首相の目標を実現する内閣であるとして支持を与えることだろう。
 そもそも内閣支持率20%は、不祥事の続く安倍内閣のお友達諸氏を叱る数字であって、戦後レジゥムからの脱却を目指す安倍首相を否定するものではなかったはずである。新しい内閣のスタートを前にして内閣支持率がアップすれば、それこそがその証明であり、安倍新内閣に対する国民のエールである。


 あとは、実績で国民の信頼に応えることだ。まずは「テロ特措法」を、国民にその重要さをしっかり説明し、民主党の譲歩を導いて、期限までに成立させることから、お手並みを拝見するとしよう。年金問題も、「証明できないものは支給できない」などと、新大臣が一言でも目玉をギョロつかせたら、民意は民主党に流れる状況であることを忘れずに…。


  「日本は、今」 トップページへ